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高校1年の夏、私は家出した。
それは人生2回目の家出だったけど、今度は本気だった。

中学2年の時に両親が離婚して、
引っ越したのと同時に母の恋人と同居しだした。
母の恋人は私の同級生の父親だった。

その時点で、私はその男を好きにはなれなかったけれど
母が思うように生きればいいと思ったから、ついて行った。

最初は幸せそうに見えた。でも、見せてただけだったんだと思う。

その生活もちょっとづつ不穏な空気が流れていき、
ストレスで母は私に八つ当たり。

最終的に暴力で追い詰められ、父の所に家出した。

母の暴言、暴力はお酒を飲むようになってから始まった。
小学校3年生くらいの頃だ。

父は仕事でほとんど家にいないし
私には兄がいたが、兄にはそういう事はしなかった。

お酒を飲んでいるから、次の日には覚えていない。

何を訴えても、誰も助けてくれない。

そんな、クズのような家庭だった。


父の所に家出した時、そちらにもすでに恋人がいた。
母とはタイプの違うなんでもズバズバ言う人。

その人もバツ1子持ちだったが、子供は元旦那のところに引き取られ、
うちにはたまに遊びに来るぐらいだった。

父がうちに居座らせる事を許さなかったのだという。

当時、高校に上がったばかりの私はハンドボール部に所属し
そこで出会った仲間とよく一緒に過ごしていた。

家出した日もその仲間の家にたまっていて、
そこからの帰りに最終のバスを逃してしまい
仕方なく10キロ近くの道のりを歩いて帰った。

疲れ切っていた私は家についてすぐ眠ってしまった。
母の言付けを守らないまま・・・

「帰ったら、お米を研いでおくこと」

たかだかこれだけの事。
これだけの事で、暴言暴力は当たり前だった。

家を飛び出した私は、仲間たちに連絡した。
起こった事全てを話、自分の居場所だけを教え
明日からどうなるかわからない事を伝えた。

それから夏の間、父の家で過ごした。
恋人からのいじめもあったが、気にしなかった。


ある日、仲間たちが言った。

「海にいこう。」

高校生だった私たちには車なんて手段はなく
チャリ、バス、電車を乗り継いで
どうにか大洗海岸に辿り着いた。

水着だって持ってない。
手の中にあるのは、携帯、財布、たばこ・・・だけ。

でも、それだけで良かった。

タバコは吸うが、曲がってるのはそこだけであとはみんな部活熱心な普通の高校生。

私の話を聞いて、親に怒り奮闘してくれるいいヤツらだった。

くだらないことで爆笑した。お互いの将来を語り合った。

海岸沿いでカラオケを見つけみんなで熱唱した。
ロケット花火をかって打ち合いっこした。
馬鹿みたいに大はしゃぎだった。

その時間は何もかも忘れて、ただただ大声で笑えた。

みんなに救われたんだ。


夜は泊まる所もないので、海岸のゴツゴツした岩の上で野宿した。

うっすら霞がかる夜空に本当にたくさんの星たち。

キラキラ・・・流れ星。

みんなで、流れ星に約束した。

「10年後またここに来ようね。その時は今より幸せになっていよう。」

あの日見た星空も、あの日交わした約束も今でもずっと忘れない。